カテゴリー:ライフスタンス
タグ:SNSの実験的研究、習慣化、創作の哲学、自分軸、表現の孤独
「母をたずねて三千里」という物語があります。
主人公のマルコは、遠く離れた母に会いたいという明確な目的を持って旅を続け、最後には再会を果たします。
今の私の活動——誰もフォローせず、毎晩9時に一筋の光(曲とポエム)を放ち続けるこの「耐久レース」は、どこかその物語に似ているようで、決定的な違いがあります。
それは、**「いつ、どこで、誰に会えるかの見通しが、まったくない」**ということです。
暗闇を手探りで進むということ
SNSという大海原において、フォロー関係を断ち切ることは、帆もエンジンもない小舟で漕ぎ出すようなものです。
「無風」の波間を漂いながら、それでも毎晩決まった時間に灯台のように光を灯し続ける。
「本当に誰かに届いているのだろうか?」
「このまま誰にも見つからないのではないか?」
そんな不安の中で手探りを続ける日々は、決して楽なものではありません。しかし、この「見通しのなさ」こそが、私にとっての「壮大なロマン」でもあります。
なぜ、この「実験」をブログに綴るのか
私はこの「無風の航海」の様子を、あえてブログの記事として残していくことにしました。それは単なる活動報告ではなく、同じように自分の表現や生き方に悩む誰かへの、一つの「サンプル」になりたいからです。
- 数字に頼らなくても、心は折れないのか。
- 反応がない中で、表現の質をどう保ち続けるのか。
- アルゴリズムという現代の神様は、いつ私の光を見つけるのか。
この「実験的研究」の記録が、いつか誰かの「癒やし」になることを願っています。
結末のない旅の楽しみ
マルコは母に会えましたが、私の旅には明確な「結末」は設定していません。
強いて言えば、この「手探り」そのものを難なく楽しめるようになること、そしてその過程で自分だけの「純粋な光」を磨き上げることが、今のミッションです。
もし、この暗闇の向こう側で、偶然にも私の光を見つけて共鳴してくれる人が現れたなら。その時、この「三千里」の旅は、想像もしていなかった最高の景色を見せてくれるはずです。
(あとがき)
今夜も9時になります。
見通しはないけれど、確かな「想い」だけを乗せて、また一つ光を放ちます。この手探りの航海を、これからも一緒に見守っていただけたら嬉しいです。

