前回の記事で、新曲『自分の光』に込めた想いをお伝えしました。今回は、その背景にある「現代のSNS社会」への私なりの視点と、現在進行形で行っている「ある挑戦」についてお話しします。
SNSで見かける「数字の乖離」の正体
SNSを眺めていると、不思議な光景を目にすることがあります。フォロワー数は数万人と膨大な一方で、投稿への反応(いいね)が数個、数十個しかないアカウントです。
もちろん、そこには「見かけの数字」を整えることで権威性を示したり、アルゴリズムに働きかけようとしたりする戦略的な意図があるのかもしれません。しかし、本質的な視点で見れば、そこには「数字の魔力」への依存という切ない側面が隠れているように感じます。
数字を積み上げること自体が目的化し、その中身である「自分自身の言葉」や「他者との心通う繋がり」が空っぽになってしまう……。それは、表現者にとって最も避けたい事態ではないでしょうか。
「承認欲求」を排除した、自分への耐久レース
そんな現状への「自戒」を込めて、私は現在、X(旧Twitter)である挑戦をしています。
ポエムをもとに制作した楽曲を、毎晩9時に予約投稿する。
ただし、以下のルールを自分に課しています。
- 誰もフォローしない。
- フォロバも行わない。
- 「静かに共鳴してくれる人と繋がれたら嬉しい」という姿勢を貫く。
現在、フォロワーも反応もゼロのままです。誰からも見られていない場所で、たった一人で光を放ち続ける。これは、自分の承認欲求を完全に削ぎ落とした先で、どこまで表現を続けられるかという「自分だけの終わりなき耐久レース」のようなものです。
数字の向こう側にある「本当の光」
一方で、同じ楽曲を投稿しているYouTubeでは、毎回数百回の閲覧をいただいています。数字を追わないと決めたからこそ、その「数百回」という数字の中に、誰かが耳を傾けてくれたという純粋な事実を、より温かく感じることができます。
「認められたい」という思いを完全に消し去ることは難しいかもしれません。しかし、数字という鎧を脱ぎ捨てて、ただ真っ直ぐに自分の光を放つとき、その輝きは最も純粋なものになると信じています。
皆さんは、何のために自分の光を放っていますか?
(あとがき)
この挑戦はまだ始まったばかりです。誰にも見られなくても、自分自身がその価値を認めていれば、表現は死なない。その実感を積み重ねる日々を、これからも大切にしていきたいと思います。

